福厳寺について

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生きる人のためのお寺として門を開き、多くの人たちの心の拠り所を作りたい

 大叢山福厳寺 31世住職、大愚 元勝です。

 私は福厳寺の弟子として育ちました。3歳でお経を習い、5歳で葬儀デビューをしましたが、思春期に差し掛かると、お寺の堅苦しい伝統やしきたり、厳しい師匠などに反発の気持ちを抱いてお寺を飛び出しました。何にも縛られず自由に生きていきたいと、海外に出たこともありました。発起して会社を興し、複数の事業のオーナーとして小さな成功も収めました。

 しかし、歳を重ねて世の中の矛盾や人々の苦しみを見るにつれ、幼少期から私の中にあった仏の教えが私を守り、導いてくれていることに気がつきました。

 自分の使命は「仏教を人々にわかりやすく伝えていくこと」であると確信したのです。

 僧侶として生きる覚悟を定め、副住職としてお寺に戻ってから、インド、スリランカ、タイ、中国、韓国など、仏教伝来のルートを旅し、僧侶としての自身のあり方、お寺のあり方を問い直しました。

住職としての自身のあり方を問い直し、「生きる人々のためのお寺」を目指す

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 平成27年1月、福厳寺第31代目住職就任にあたって考え続けたことは、「500年続いた福厳寺を未来の500年に残すため、何をしていくか」でした。

 考え尽くした末に到った結論は、福厳寺を「生きる人々のためのお寺として開いていこう」というものです。仏教とは、今から約2500年前に、インドで悟りをひらかれたお釈迦さまの教えです。生きることの本質や心の本質だけでなく、すべての人が迷いや苦しみを離れ、心の平安を得ることができる。つまり、幸福になることの可能性が説かれています。迷信や古びた過去の物語ではありません。

 お釈迦さまやその弟子たちが説いた教えは、非常に科学的であり、論理的で、数千年の時を超え、私たちに生きる勇気と智慧を与えてくれます。仏さまの教えをまとめた経典には、豊かな資産の作り方から円滑な人間関係の築き方、立ち振る舞いにいたるまで、具体的かつ普遍的な教えが詰まっているのです。

 多くの方々は、葬儀や法事のためだけにお寺を訪れます。大きな伽藍を備え、歴史や智慧に満ちたお寺が、死者のためだけにあるのは非常にもったいないことです。今後は、生きている人にとっての学びの場、修行や啓発、癒しや交流の場として、多くの門を開いていきたいと考えています。

福厳寺を中心に「仏縁」を広げ、精神的な拠り所を作っていきたい

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 今後、お寺の果たす役割はますます大きくなっていくことでしょう。夢や希望がないと言って自らの命を絶つ若者、無念にも孤独死せざるを得なかった高齢者、そして心を患う人たちの増加など、日本全体が抱えると言っても過言ではない心の問題が後を絶ちません。

 こうしたことが起こる理由のひとつは、精神的な拠り所がないことだと考えています。安心領域があって初めて、人は未知のこと、新しいことにチャレンジできるのです。戦後の日本は政教分離によって宗教などの精神的な支えを失い、その代わりに物質的な豊かさを求めました。しかし、金銭や物では心の空虚を満たすことはできませんでした。

 最近でこそブームのように世間の関心が高まりつつありますが、長い間、人間の心に確たる安心領域を提供してきたのは、他ならぬ仏教なのです。

 お寺とつながること、仏さまとつながることを「仏縁」と呼びます。

 この福厳寺を中心に、職場や学校、家族や地域を超えた仏縁を広げていくことができるならば、多くの人々の心の中に拠り所が築かれることになります。生死の苦しみを安心して受け入れ、乗り越えていくことができるでしょう。

人間であることの限界と分をわきまえ、感謝を忘れないよう努める

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 インターネット社会に入り、世界の情報が簡単に手に入る時代になりました。外国の金融事情は瞬時にわかるのに、自分の家庭の中はどうでしょうか。親と子ども、夫と妻といった身近な関係の中でさえ、お互いの悲しみやつらさ、寂しい気持ちを知らないのです。

 物質的な豊かさや便利さは、必ずしも心を豊かにしてくれるとは限りません。現代は便利でスピーディーな高度情報化社会ですが、それに慣れすぎると、わずかな不具合がストレスを引き起こすのです。

 便利になればなるほど、人間がわがままになっていく。そんな時代において大切なことは、「人間であることの限界と分をわきまえ、自分のエゴや怒りを抑えて心を整え、謙虚に、素直に、感謝を忘れないように努めること」です。

 仏教は「慈悲と智慧の宗教」といわれています。

 生きとし生けるすべての命に対して、思いやりの心を育てること。そして、自らの心を整えて理性的に生きる智慧を育てること。それが仏教です。

 人は遅かれ早かれ、必ず死に至ります。しかし、命が有限であることに一日も早く気づき、一所懸命生きるならば、あなたの「生」は必ず充実し、生き生きとした輝きを放つことでしょう。そして、いつか訪れる「死」もまた、恐れることなく、穏やかに受け入れることができることでしょう。

 すべての方々が、そのように幸福な人生を送られることを願ってやみません。

合掌 福厳寺第31世住職 大愚元勝

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