葬儀と墓苑

「残された人がよりよく生きるための機会」
福厳寺は葬儀をそう捉えています

悠久のはるか昔から、人は仲間の死を弔ってきた

 人間が進化の歴史の中で初めて「仲間の死を悼み、弔う」ということを具体的に儀式化したのはネアンデルタール人だといわれています。

 ある洞窟で、ネアンデルタール人の遺骨の周りにたくさんの花粉が残っているのが発見されたのです。彼らは、近くに咲いていた花を摘み、仲間の死を悼んで、遺体の周りにちりばめました。亡くなった人を人が弔う歴史ははるか昔にさかのぼることができるのです。

 仏教においてはどうでしょうか。仏教が生まれたインドでは、遺体を燃やし、遺骨をガンジス河に流していました。お釈迦さまのような人でない限り、お骨を取っておくことはありませんでした。

 日本では古くから祖先崇拝がありましたが、高貴な人以外は、お墓が作られることはなく、亡くなると川に流されたり、山に置かれたりしました。

 仏教が伝来すると、疫病がはやって大勢の人が亡くなったときなど、お坊さんがお経を読んだりするようになり、徐々に死者を弔う儀式が定着し始めました。

 仏教の宗派によって往生の考え方は異なります。浄土宗や浄土真宗は、どんな悪人も、どんな罪深い人も死んだら極楽浄土へ往生するという考え方です。

 それ以外のほとんどの宗派は、どうやって生きてきたかによって、人生の価値や、死後の評価が変わるという考え方です。

 ですから、多くの宗派では、過去の悪行を懺悔して、心を改め、仏弟子となって戒名を授かり、往生するのです。そうした仏教の考え方と、死者の霊を弔い鎮めるという日本の祖先崇拝とが結びついて、現在の仏教の葬式の形ができています。

葬儀は「いつかは自分も死ぬ」という
自分の命の有限性に目覚める貴重な機会

 最近、未熟な死生観から葬儀をきちんと執り行わない方が増えています。しかし、福厳寺は2つの点から葬儀を大切なものと捉えています。

 ひとつには、日本人が古来から大切にしてきた祖先崇拝の考え方や亡くなった人を悼んでお別れをする、鎮魂を祈るという昔からの慣習を大事にするということ。

 もうひとつは、身近な人が亡くなったという機会を、自分の死を見つめるチャンスと捉えるという観点です。葬儀は「いつかは自分も死ぬ」という自分の命の有限性に目覚める貴重な体験です。死を見つめることで、今のままの生き方でいいのかを自分に問いかけていただく。命の有限性を見つめ直すことで、残された人がよりよく生きていくきっかけをつかむ場として葬儀を捉えていただきたいのです。

「お寺が会員の死後の面倒を見る」
個人墓なら子どものいない人も安心

 福厳寺では大きく分けて「会員墓苑」と「非会員墓苑」の2種類のお墓を用意しています。「会員墓苑」は読んで字のごとく会員向けの墓苑で、「家族墓」と「個人墓」があります。

【会員墓苑】

• 家族墓……守るべきご先祖さまのお墓がある、あるいは、死後、子どもたちや親戚など墓を守ってくれる人がいる方のお墓。

• 個人墓……子どもが女の子だけで、すでに嫁いでしまって家にいない、子どもがいない、独身である……。最近増えつつあるこうした事情を考慮し、平成27年から個人用のお墓を用意しています。

 生前に会員になって、仏教の教えをひと通り学び、仏弟子の戒名をいただきます。生きているうちにお位牌も用意し、亡くなったあとは、当院が33回忌まで千手堂で法要し、その後は、合祀となっている観音像の地下に埋葬しています。お寺が子孫に代わって会員の死後の面倒を見ることで、安心して生きることができます。

【非会員墓苑】

福厳寺には、福泉苑、福徳苑、福聚苑の3つの墓苑があります。福泉苑は、仏教徒であり、なおかつ会員である方のみが利用できます。福徳苑と福聚苑は非会員であっても、他宗教であっても利用できます。

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